2010年06月13日

GOP懇談会in大阪での講演

GOP懇談会in大阪での講演しました。

タイトルは「地球と共に生きる」です。
高度経済成長前の懐かしいのんびりした自然との交流、金魚売りやパッカン、何でも10円屋、豆腐屋のそれぞれの音を伴ったいつまでも記憶に残る魅力的な行商スタイルや、人と人との交流のお話からはじまり、京都での学生生活では、枕草子に詠まれたように、東山が薄紫に染まりながら明けていく朝光の美しさ、黒谷さんから望む京都の夕暮れは全く水墨画に描かれた絵そのものだったこと、雪の降った翌日の竹薮の中の空気が太陽の光を受けてエメラルドグリーンに輝いていた様子など、自然美が平安の昔から変わらず現在も脈々と続いている姿の感動して、自然に対する感受性がとても磨かれていったことをお話しました。
そして、偽善、欺瞞だらけの今の社会の現状、経済至上主義、個人主義の反映である、建築環境、そして、地球の危機についてのお話。
参考に江戸時代のごみ0の徹底したリサイクル社会の様子もお伝えしました。
そして、この世は振動の世界であること、物には内在するエネルギーがあり、自然素材の持つエネルギーの高さ、人の手によるエネルギーの添加のお話などもさせていただきました。
そして、これからの調和の世界に向けて、心の目、感性、感覚を通して、感じることが大切ではないかということをお話でしめくくらせていただきました。
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2010年03月06日

日本の心

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本日、京都指定有形文化財杉本家住宅の見学に伺いました。
ここのお宅は1743年創業の呉服の大店で現在の建物は1864年の禁門の変で類焼した家屋を1870年(明治3年)に再建したもの。
数ある京都の町屋の中で、この建築の造り、構造材の立派さは群を抜いているものでした。
しかし、何よりもそこに住まう杉本家の老婦人の感性の豊かさには大変心を動かされました。
単なる「もの」としての家の存在を超えて、長年の歳月を経てきた人間と同格の「生き物」として、住まいを心から愛しみながら一緒に過ごさせていただいている、という住まい方。
長年、その家を守り続けるという意識で本当に心を込めてお掃除を担当されてきた方がいらっしゃったのですが、ご高齢のために、来ていただけなくなったとのことで、「やっと私がお世話をさせていただくことが出来る立場になれた。」というお話。
そして、「美」に対しての洗練された感覚。
このような感性豊かな人たちがかつての日本の美しい姿を支えてきたのだと実感いたしました。




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2009年11月20日

日本建築放浪記

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11月1日京都東福寺に行ってきました。
もみじは少し色づき始めたころで、まだ、見ごろにはなっておりませんでしたが、そこには、かの有名な作庭家 重森三玲氏の代表作である方丈庭園があります。

重森氏は明治29年に生まれ、昭和11年から3年間に全国の庭を約300も実測して歩き、『日本庭園史図鑑』にまとめています。

当時の庭の姿を後の世に記録として伝える、という意味でも大変価値ある功績をのこした方ですが、それ以上に、彼の作った庭は、比類することができないほどすばらしく、精神性を兼ね備えた美しさがあります。
作庭家というより、芸術家という分類のほうが相応しいかもしれません。

「庭というキャンバスに石と樹木でアートした。」という方が適切であるかもしれません。

自然の持つ美しさを抽象化させ、よりいっそう際立たせています。

ある意味、利休や遠州に通じる精神性を持ちながら、三玲流の、大胆な直線と、自然の作る曲線が織り成す造形美には 何度通っても感歎させられます。

数年前に訪れたときには、写真右端の「一松の庭」の緑の苔の上に、真っ赤なもみじが数枚落ちていて、その情景は本当にすばらしい絵画を見ているかのようでした。
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2009年10月27日

伊東乾の「常識の源流探訪」より

今日は 人が日頃、周りの環境からどのように影響を受けているかに焦点を当ててみたいと思います。

私たちは知らず知らずのうちに、外部環境から取り入れている色々な情報、刺激に対して、あまりにも無防備でいるようです。
私たちの感覚は、外部に対していつもオープンになっております。
シャットアウト出来ない、それらの情報が私たちの無意識のレベルにまで入り込み、感性や思想をかたちづくってしまいます。
そのことに目を向けてもらうのに伊東乾の「常識の源流探訪」からの抜粋文を抜き出してみました。
音楽のことに関してですが、建築空間も全く同じことが言えます。
ちょっと立ち止まって考えて見ませんか?

2009年10月27日 常識の源流対論 イヴリー・ギトリス+木野雅之(その1)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20091026/208041/?P=3
より抜粋

―― ホール全体の響きを確かめながら演奏しておられるので、あなたの演奏は単にバイオリンが鳴っているだけではない、演奏会場全体があなたの「楽器」になっています。音楽は固有の時間と息づきを持っていますから、響きが本当にホール全体に満ちるのに要する時間はまちまちです。これをCDやDVDで聴いたのでは、本当に何が起きているのか絶対に分かりません。人によっては「クセの強い解釈」なんて言うこともあるでしょう。でもそういうことではない。

ギトリス うん、そうだよ、その通りだ。

―― あなたの演奏は、楽曲の本質に即した強靭な主張を明確にして、すべての細部まで「実際にホール全堂に満ちる響き」としてストレートに実現しておられる。「恣意的な解釈」とか「19世紀的な演奏スタイル」なんていう浅い印象批評も耳にしますが、そんな言葉とは全く無関係に、音楽家が音楽の本質に根ざして、すべての音を成就させている、本当に誠実な演奏で、うまく言葉にできないのですが・・・感動しました。

ギトリス ・・・とても嬉しいよ。

―― 例えばリズムについて、メトロノームのような機械的なテンポの「正確さ」は、音楽的には全く正しいものではない。むしろ「テンポ・ルバート(テンポを自由に動かしながら演奏すること)」が・・・。

ギトリス 「テンポ・ルバート」。この言葉の意味は「正しいテンポで演奏する」ということだ。

木野 そうですね(笑)。

ギトリス 僕はこのところずっと、音楽の「コンピューター化」が深刻な問題を引き起こしていると思っているんだ。

木野 「コンピューター化」と言いますと?

「コンピューター化」という音楽の危機

ギトリス 例えば携帯電話の着信音がそうだし、コンピューターから出てくる大半の音は機械的に作り出されているよね。

―― メトロノーム・テンポを機械的に設定して音が出てきますね。

ギトリス それでは人間の音楽にならない。(手で一定のリズムを取りながら)ラッラー ララララ ラーララーラー・・・(チャイコフスキー「バイオリン協奏曲」第1楽章の主題を、お経のように棒読み的に歌う)これは音楽じゃないよね。

木野 本当です(笑)。

ギトリス ここには本当の呼吸もないし、生命もない。ところが、こういう機械的な音に多くの人が慣れすぎてしまっている。これは現代文明病だ。

―― 全くです。今や音楽学校でプロの卵を教える時ですら「機械的正確さ」という誤ったリズム感が大手を振るっています。東京藝術大学で「ソルフェージュ(音楽家の基礎能力育成科目)」を教えていた頃、僕もこれを一番大切に指導したかったのですが、誤った価値観に縛られた若い人が本当に多くて、閉口しました。

木野 こういうことをきちんと教えている学校というのは、日本にはほとんどありませんね。

―― 実際、学生の中には「そんなことやっててコンクールに入賞できるんですか?」なんて訊く人もいたりして。でも、そういう心構えでは若い人は伸びません。これは音楽の「録音病」でもあるんですね。楽器の近くにマイクロフォンを立てて録音すれば、演奏している空間の響きや、そこでの反射音の遅れ、ホールに音が充溢するまでのほんのわずかの時差とか、音楽に真の生命を与えるすべてが、抜け落ちてしまいます。
 僕はあちこちの教会の残響時間を測ったりもしてるんですが、例えば同じアルカンジェロ・コレルリ(Arcangelo Corelli、1653〜1713、イタリアの作曲家・バイオリニスト)のソナタでもコレルリ自身の演奏とジュゼッペ・タルティーニ(Giuseppe Tartini、1692〜1770、イタリアの作曲家・バイオリニスト)の演奏、それからドイツやイギリスでも出版されたフランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ(Francesco Maria Veracini、1690〜1768、イタリアのバイオリニスト・作曲家)の編曲版なんかは、演奏していた空間の残響そのほかが決定的に影響して、全然スタイルが違っているのが如実に分かる、とかね。

ギトリス それはとても重要なことだ。

―― そういう現実の空間で息づくリズム、レコードの普及以来、みんなが分からなくなりやすい音楽の本当の生命。イヴリー、あなたの演奏はそれをすべて、今ここで実現しておられるわけで・・・。

ギトリス 今日はとても嬉しい日になったよ。本当に「コンピューター化の危機」をどうやって乗り越えていくかは、これからの音楽の大きな課題だと思うね。

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2009年10月22日

大阪府環境審議会で意見を発表いたしました。

地球環境と共生できる循環型の社会を

今の社会の現状

私たちは文明の発達と共に大自然の力を軽視し、科学を万能であるかのように考え、我々人間の能力ですべての自然をコントロールできるかのような錯覚に落入ってしまいました。
そして、人間の都合ばかりが支配する社会へと変貌し、いつの間にか自然から背を向け、 あたかもそれが快適な暮らし、文明的な暮らしであるかのような生活を日々、送り続けております。
その結果、地球の生態系のバランスが壊れ、様々なひずみが出来てしまい、あちこちで災害が頻発するという状態を招いてしまったように思われます。

自然の循環

地球の自然は、様々な生命体がそれぞれ絶妙なバランスで関わりあいながら、それぞれの命を育んでおります。私たち人間も地球の大きな自然環境の中に組み込まれている一生命体であり、他の生命体とのバランスを欠いては存在することが出来ない部分であることを自覚するときが来ております。
また、太陽やさまざまな星の光のエネルギーは、水や空気や大地、そしてすべての生き物たちの中をいろいろに形を変えながら、大きく循環しています。
大地に蒔いた種子は、土と水と空気と微生物、光に育てられ、葉を伸ばし、実を結びます。そして、人や虫や動物たちの食べ物となって命をつないでくれております。
動物たちの糞は発酵して堆肥となり、微生物に食べられて再び土に返っていきます。そして、その豊かな栄養分を含んだ水は山に保水されて川となり、その水を植物が吸収して大きく成長します。
また、植物の体内を通過した水は、葉から蒸散作用によって空中に出て、冷やされて雨になり、その雨は再び作物の命を育てます。地球のあらゆるものが循環しながら、生命を維持しているのです。




地球の危機

現代社会においては それらの循環を私たち人間が断ち切って、それがあたかも文明社会の勝利であるかのように、便利で快適な暮らしを追求してきました。しかし、そうした行為が自分たちの首を絞めるような状態を作り出してしまっていることを自覚しないかぎり、この地球の危機的な状況を救えません。地球環境を本来の姿に戻し、今までの間違った知識をもう一度検証しなおそうではありませんか。
自然に沿っている農業でさえ、今は循環を維持できておりません。
例えば、化学肥料や農薬がないと作物は育てられないのでしょうか?
化学肥料を使うと土中のミネラルバランスを壊し、一度使えば、次からはその肥料なしにはうまく育たなくなるそうです。
農薬も土中の菌や微生物バランスを崩してしまいます。
害虫と名付けられた生き物さえも、生態系のバランスのために 必要だから存在するのだと言う人もおります。
生態系のシステムを崩してしまう行為が、人間が手を入れないと成立しない環境を作ってしまっている様な気がします。

山と畑の現状

山についても同様です。
山に針葉樹ばかりを植林してしまったがために人間が管理しないと、山の植生が成り立って行かなくなっていると言われております。
いまや、その管理をする人間もいなくなり、日本のあちらこちらの山は荒れ放題です。
間伐が出来ないと、地面に光が届かず、真っ暗で、下草も生えません。そして、微生物や菌類の循環も途絶えて山が死に至ってしまいます。
今、田畑の作物がサルや、イノシシ、鹿、などの野生の動物に食い荒らされるという被害が全国的に相当深刻なものになっておりますが、山が瀕死状態になってしまい、食べ物がなくなったことがその一因として考えられます。
作物を豊かに育くむはずの水も、動物の糞や草木の養分を十分に田畑に届けられません。
また、過密になって根っこが張れない木々は少しの雨でも倒壊し、山は保水力をなくして山崩れを引き起こします。
野生の動物が人里に下りてくることも、作物のミネラル不足も、最近頻発している集中豪雨による山崩れや水害も、すべて、自然の循環を壊すという、人間が行ってきた行為の結果なのではないでしょうか。


人々の暮らし

大阪を始め、都市部に住む人々はこうした現状にさほど意識を向けることもなく、大量生産、大量消費、大量廃棄のシステムの中に組み込まれて、自然から切り離された環境の中で暮らしている方が大半だと思います。
密集した住宅地やビルに囲まれて、空調された空間で過ごし、自然の風の心地良さを感じることも出来ません。
コンクリートの大蓄熱層に囲まれて熱い夏にまで過剰に太陽熱を取り込み、電気やガスなどのエネルギーを使って熱を排出しております。
風の流れを考え、直射日光を防ぐ構造や植物の蒸散作用を使えば、もっと低コストで 気持ちよく暮らすことが可能です。
自然が無償で与えてくれている太陽のエネルギー、風のエネルギー、水のエネルギー、植物、微生物などのエネルギーをうまく活用することもなく、地球の限られた化石燃料を使って、高いコストを掛けて生活を維持しています。
都市計画を自然との関係からもう一度見直して、建築をつくっていけば もっと人と自然が調和した 住みやすい環境が手に入れられるはずです。
しかし、今の状況はどんどん住みにくくなる方向に加速していっているようで、誠に残念です。
こうしたことは、衣食住すべてにおいて同じようなことが言えます。
一人一人が少し発想の転換をすることで、もう少し自然の力に目を向けた生活を営むことが出来ると思います。
もう一度、私たちの先代たちの暮らしを 見直してみても良いかもしれません。

江戸の暮らし

江戸時代は太陽エネルギーを元に穀物を作り、燃料から資材に至るまでほとんどを植物に依存し循環している「植物国家」であったと言われております。
そして、糞尿からゴミに至るまで 様々な回収業者が都市と農漁村を繋ぎ、それぞれの  ニーズに沿って廃棄物を有効利用するシステムが出来上がっていたようです。
また、古着、なべから茶碗に至るまで、修理する職業、リサイクルする職業 が存在し、物を最後の最後まで大切に使い続けたようです。
徹底したリサイクルができ、ゴミというものは存在しない江戸時代の日本の町。
17世紀のロンドンやパリと比べれば、はるかに清潔で快適でさえあったと江戸の研究者たちは言っています。
驚くことに、大阪の川の水も、普通に飲料水として使うほどきれいだったそうで、井戸水は雑用水にしか使わなかったようです。
つい、140年程前までの我々の先祖は、こうしたすぐれたリサイクル社会を築き、想像するよりはるかに豊かな暮らし送っていたようです。

今後に向けて今私たちのできること

残念ながら、戦後、国の方針として政治経済が執ってきた方向は、人々が自然と共生しながら生きていく方向に反するように見受けられます。また、地方自治もその枠組みの中でしか動けなかったと思います。
しかし、これからは、自然と共生した循環型社会を考えることなくして、前には進めなくなってきたのではないでしょうか?
そのためには個人レベルからでも今出来ることから少しずつ変えていく必要があります。
一人一人が自然の大切さに気づき、意識を高めていくことが 今、最も大切なことだと思っています。
また、一方で、一人一人の住人の豊かな生活を視点に置いた大きなシステム作りも欠かせません。
行政が環境対策の一環として地球環境・循環サイクルを考慮した生活への提言、システム再生の取り組みを支援し、その方向に流れを作る枠組み作り、啓蒙活動、助成、などをしていただければ、人々の中にどんどん広がり、加速していくのではないかと考えております。

地球環境・循環サイクルを考慮した生活、取り組みへの提案例

■ まず、身の回りからの小さな循環に目を向けて見ましょう。
生ゴミは微生物たちが土に返してくれます。
そのための家庭用の小さなコンポストもあります。
土があり、植物を育てる環境があればゴミから植物への循環になります。
マンションのベランダでもプランターやペットボトルを使っての野菜作りができ、
植物の成長を眺めながら暮らすことで、より自然の持つ大きな力に気づきます。

■ 雨水を出来る限り土に返しましょう。
道路や河川、広場などはアスファルトやコンクリートでなく透水性のある素材で大地を覆いたいものです。
また、屋根の水も側溝やマンホールへと流すのではなく、タンクにためてトイレの水や庭の水遣りなどに利用すると有効です。
土に滲み込んだ雨水は豊かな地下水になって海の水もきれいになります。
植物も元気になります。
■ 日常空間の中に自然の力をもっと取り入れましょう。
風の流れをもっと意識的に取り入れ、緑を増やした街づくりが望まれます。
エアコンや空気清浄機を補完する風の効果、樹木の蒸散効果や日陰効果、そして癒しの効果、また、太陽光のコントロールによる暖房効果、建物の形による日射コントロール、建物の材質による蓄熱、熱貫流のコントロールなど挙げればきりがありません。
また、大阪の川に対する再考も現在進行形ですが、かつての水の都のイメージ復活や美しい水と触れ合いの場づくりはもっと必要なのではないでしょうか。
自然の力を積極的に利用した快適な街づくりは、地球環境にも優しいものとなるだけでなく、人々の生活に潤いをもたらすことでしょう。

■ 自然の循環を取り戻すために農業の活性化を図りましょう。
地産地消や、自然農法への取り組みは、輸送の省エネルギー化だけでなく、人々の健康のためにも効果があります。
また、学校給食の見直しは色々な波及効果が期待できます。
本当の食育とは何かを考え、米を中心とする献立への見直しも含め、できる限り無農薬の近場の農家がそだてた食材の調達が望まれます。

■ 日本の林業が成り立っていけるよう、支援することで山を守りましょう。
国産材を使った家づくりや 間伐材の利用促進を推奨し、国産材の需要をつくるために今の経済、住宅産業のシステム再考も視野に入れて、取り組む問題であるかもしれません。

■ 将来に向け、地球環境と共生するという視野から、下水施設のあり方の再考をし、
微生物の力を借りて、汚水や雑排水も土に返す努力をしましょう。
そして、その土から作物が育つような循環システムをつくりましょう。

■ 将来に向けた、都市全体の配置計画をはじめ、都市構造を練り直し、
自然の恩恵をもっと受けやすい街づくりに向けての方向を示していきましょう。
  そして、本当に人々が心豊かに気持ちよく暮らせる町をつくっていきましょう。

以上、私の個人的な思いをあくまで一例として列記いたしました。

地球環境と共生できる循環型の社会をつくるために、今までの金融資本主義、経済至上主義を基盤としたシステムの延長線上での環境対策や修正を考えるのではなく、未来社会に向けた大きなビジョンのもと、新しい座標軸を作り、未来の都市像を描きながら各分野の専門知識を結集して環境対策を立てていただければありがたいと思っております。
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ブログ復活いたします

長い間、ブログの記事をお休みしておりましたが、今月より新たに始めようと思っております。
今までの、途中の記事も出来るだけ補完していけたらと思っておりますのでよろしくお願いいたします。
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2008年07月28日

住まい方

今年の夏は異常な酷暑が続いていますね!

特に大阪近辺では気象庁発表の最高気温が36℃,37℃というのがが毎日続いています。
これは百葉箱の中の気温ですから、大阪市内のコンクリートジャングルの密集地帯ではもっと高温で(コンクリートは蓄熱体です)さらに、エアコンの排熱が付加してまるでサウナの中にいるようです。

そんな中、この冬に竣工した家の建築主より嬉しいお便りをいただきました。

この家は高断熱高気密住宅、パッシヴソーラーの考え方で設計しました。
特に風通りを良くするよう、窓の配置には気を付けております。
この冬もほとんどエアコンをつけず過ごしておられたようですが、家の中の最低気温は18℃ぐらいだったと聞いております。

以下、今日届いたメールのお便りを転記します。

「極暑、いかがお過ごしでしょうか?
夏ばてになっていませんか? 

我が家は、子供が保育園で結膜炎をもらってきた以外はとっても元気ですよ〜〜

さて、夏真っ盛りの中の夏中間報告を・・・

我が家の夏は、とっても暮らしやすい家になっています\(^^)/
なんと、今年は一度もクーラーが稼動していません。
一度もクーラーをつけていないので、月々の光熱費が5,000円程度とびっくりの経費
に抑えれています。
窓を開けると自然の風がそよそよと、東西のスリットや吹き抜けの窓から入ってきてます〜〜
お風呂上りには、リビングのタイルで寝っ転がって涼をとって!

シャッターも30センチ程開ければ、凄い風が入ってきます。(ガレージへの入り口にも
日曜大工で折畳み式網戸を取り付けました!妻もびっくりの出来栄えです\(^^)/

テラスでプールもしました!!子供も大喜びです。

妻とも、さすが先生の考えた窓の配置は凄いね〜とビールを飲みながら、くつろいでます〜

ではでは、また報告いたします〜〜〜〜」
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2007年12月12日

日本建築放浪記

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12月の日本建築は岡山の吉備津神社です。
記紀によれば、大吉備津彦命を祀る山陽道屈指の大社です。
ここには本殿前から伸びる大変長い木造の廻廊(県指定重要文化財)があり、雄大な庭に中を走る姿は壮観です。
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2007年09月02日

日本建築放浪記



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近江八幡福寿寺 池泉庭園


京都林泉協会の9月例会で近江八幡へ行ってきました。
上記写真は江戸初期の県指定名勝 近江八幡福寿寺の池泉庭園です。
開山堂は岩倉山中にあって庭園はその山側、開山堂と南の本道へ伸びた渡り廊下「通幽橋」の東庭になっております。
この渡り廊下は庭の一部となっていて庭に奥行きと緊張感を与えています。やはり自然素材で組み合わせた物は何か人の心を和ませるものがありますね。
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2007年08月10日

日本建築放浪記

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京都上賀茂付近 銅閣
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